久しぶりの書籍紹介ですが、本日は「ウェブ人間論」をご紹介します。
本書は、「ウェブ進化論」で有名な梅田望夫氏と、芥川賞作家、平野啓一郎氏の対談を収録したものです。
(ウェブ進化論に関して、下記記事で解説していますので、あわせてご参照下さい。)
この「ウェブ人間論」は梅田氏のあと書きを借りると、「WEBと人間」の関係、および「WEB人間」の特質を論じたもので、わたくし個人としては大変参考になりました。
しかしながら、このブログの想定読者である
一般の中小企業経営者
にとって、恐らく本書の内容はチンプンカンプンだと思います。対談形式のため内容が構造化されていないこと、それと本書が前提にしている「
ネットの価値観
」というものが、普段それほどネットを使っていない多くの経営者にとってピンとこない、という二つの理由で、本書のエッセンスが中々伝わらないのではと思います。
そこで本書の中から、「経営者」に役立ちそうな部分を抜粋し、それに対して私なりの解釈を加えてみました。題して、「経営者のウェブ人間論」。
ビジネスの最前線を生きる経営者の方むけの、「ウェブ人間論」のエッセンスをこんな観点でまとめてみました。
下記文書中、「赤文字」部分は私の補足説明ですが、この解釈はわたくし独自のものであり、筆者の考えと全く関係がない点、あらかじめご了承下さい。 また、下記において表題部分は、敬称を略させていただきました。
僕は最近、逆説的だけど「たかがネット」と考えることも大切かなと思うんです。 (中略)やっぱりネットが活きる領域は情報までだと思うんですね。情報が全てだ、という考え方もあるけれど、やっぱりネットの空間では、情報以外はいじれない 。 逆に言うと、リアルにはリアルの全てがある。お金の回り方でいうのが一番分かりやすいかもしれないけれど、リアルの世界というのは摩擦がいっぱいあって、何かやるためにはお金がかかる。 だからリアルではネットよりもお金が回っていきやすい。移動するのに飛行機に乗るとか、ご飯食べるとか、そういうことの度にお金がかかっていくから、リアルの世界でのお金の回り方って、ネットに比べてすごく大きい。 その代わりネットは、情報だけに関しては、情報の複製コストがゼロとか、伝播速度無限であるとか、そういう特別な法則が働いています。ネットで何か新しいことをやろうとしたら、ほとんどタダですぐに出来ちゃうから凄いことは起こるんだけど、その達成に比べてお金はあまり回らない。 だからたぶん、相変わらず向こう何十年も、経済面ではリアルの世界の方が大事だということが続くと思いますよ。
この部分を、経営者の方はぜひ肝に銘じて頂きたいと思います。巷に出回っているネットの解説書は、ネットショップやアフィリエイト、情報商材を使った週末起業、というような話ばかりなのですが、こうした商売は全体から見たらほんの一部です。
御社が普段やっている「リアルの商売」の方は、いくらネットが普及しても決してなくなりません。お金の動きから見た場合は、リアルの方が遙かに大切なのです。ですからリアルを捨て去って、一足飛びにネットに全てを賭ける、というような考えを持つ必要はありません。
「お金」はリアル、「情報」はネットという風に、その役割をきちんと認識してそれぞれを上手く使い分けていくことが、ビジネスにネットを活用する大切なポイントになってくるのです。
僕がデビュー作「日蝕」を書いたのは96年から97年にかけてなんですが、当時はネットをやってなかったんです。あれは片っ端から読んでた本の参考文献だの引用文献だのを必死で京都の本屋や古本屋を一軒ずつ回って集めて書いたんですね。もちろん、図書館も大いに活用しましたけど。(中略)
「葬送」の時には、かなりインターネットを駆使したんです。今、あの作品を客観的に振り返ると、情報量という意味では、あの年齢で、あの期間で、あれだけの小説が書けたということが、我ながらちょっと不思議なんです。それは、僕にものすごい才能があったからということではなくて、やっぱり一つにはネットのおかげだと思うんです。 (中略)。ただ文献検索は本当に役に立ったんです。自宅にいながらにして、世界中の研究書が検索できるわけですから。あれで仕事の効率は格段にあがったと思います。
上記の内容は、多くの方が日々の仕事の中で実感されていることと思います。一昔前に比べると、こうした情報収集の「手間」あるいは「コスト」が格段に下がっているわけですから、それを前提にした仕事のスタイルに変えていくことが、これからの経営に必要とされてくるのではないでしょうか。
そしてこうした情報収集は、御社のお客さんにも当てはまります。個人客であれ、法人客であれ、同じように(御社の)情報を収集し、自分の意思決定に役立てているのです。
今の僕は、朝4時に起きてトータルで1日8〜10時間くらいネットに繋がっていて、「ネットの世界に住んでいる」という感覚なんです。 僕の仕事は、アメリカで考え事をして、2ヶ月に一度日本に戻り、日本企業の顧客と議論するというスタイルなので、ここ数年で、米国での日々は完全にネットに依存した生活に変わってしまいました。 それで、東京にいる間は、打ち合わせなどリアル世界で朝から晩まで忙しいから、ネットに住めない。だから僕にとって、「アメリカに帰る」と「ネットの世界に帰る」は同義で、とても変な話に聞こえるかもしれないけれど、ネットの世界って今の僕にとって、とても「リアル」なんですよね。
梅田氏は、恐らく日本で最もネットを使いこなしているビジネスマンの一人だと思います。 しかしながら梅田氏は、いわゆる「ネットおたく」ではなく、経営コンサルタントを本業とする優秀なビジネスマンです。そんな梅田氏の、「ネットの世界は僕にとってリアルなんです」との発言の中に、将来のビジネスマンの姿が見える気がしました。
日本で「株)はてな」という会社の経営に参加しているんですけれど、そこはネットの世界の若者達の文化を体現したような会社なんです。 メールはあまり使わず、報告事項なども全て、社内ブログで全員に向けて発信しています。また朝のミーティングを録音して社内のグループウェア空間にアップする。いろんなミーティングがネットの上に時空を飛んで上がるんですよ。全部はとても聞けないけど、だいたい聞きながら他のネットを見たり。 それで何かこれまずいなと思うと、おもむろに社内グループウェアの空間に「おいおい、ここはこうしたらいいよ」と書き込む。その空間はいつもライブになってるから、気になる人はすぐに何か反応を書く。僕の後ろに5人書き込んだというのが分かると、返信したり、スカイプで話したり、インスタントメッセンジャーとかやっていると、ちょっとこれ見てくださいとか言って、URLがポーンと飛び込んできて、それを見に行くと今度はアメリカの新しい会社のサイトだったりしてして。 そんな風にネットの世界の中に住んでいるというか、泳いでいる感じです。
こうしたビジネススタイルが、将来の一つの方向性になるのかもしれません。弊社も含めて日本企業の大多数は、上記のような「フェイス・トゥ・フェイス」を前提としない、バーチャルのコミュニケーションによる社内のマネージメントを苦手とします。
しかしながら、恐らく現在のネットを使いこなしている若い世代が中核になるにつれ、 上記のようなコミュニケーションスタイルの企業が増加し、同時にこうした企業が成長していくのかもしれません。一方、こうしたバーチャルなコミュニケーションが苦手な企業にとって、 フェイス・トゥ・フェイスよりもバーチャル・コミュニケーションが得意な次世代の人達とどう接していくか、経営者として大きな課題になっていくような気がします。
僕が2004年にパリに住んでいた頃に、ネットカフェがバーと出来ていったんです。(中略) ただ、そのネットカフェの光景が、最初フランス人にはかなり奇異に見えたようです。パリのカフェって本当に人がお喋りする場所で、いつ行ってもフランス人がダラダラ喋ってるという空間だったのに、今や誰も口をきかずに、隣の人でなく何千キロ、何万キロと離れた場所の人とずっとやりとりしている。(中略) その時に、世界中どこでも、本当にコミュニケーションの際の「時空」の把握の仕方が変わってきているなと言う印象を強く受けました。 実際にお互いの体を寄せ合って、面と向かってやり取りするというのがコミュニケーションの原始的なイメージだったわけですが、手紙や電話とは全く別次元で、隣にいる人よりも、距離的にはずっと離れている人の方が近しい感じがするというのは、ネットの世界の画期的な新しさですね。 これは、頭でと言うより、感覚的に理解されることだと思います。
恐らくネットに不慣れな経営者の多くが理解できないが、上記のコミュニケーションの「時空」の概念だと思います。
例えば御社の若手社員にとっては、隣で面倒を見てくれている先輩よりも、会ったこともないmixiの仲間の方に遙かに親近感を抱いているかもしれません。良い悪いは別にして、ネットを利用している若手世代のコミュニケーション感覚は、多くの社長さんの感覚とはかなり違って来ているのです。
僕はネットは誰のためのものか、ということについて、こんな風に思うんです。まず、人間が生まれたときに放り込まれたコミュニティというのは、その人が本当に心地よく生きられるコミュニティーである保証は全くないわけです。その齟齬のようなものが、家族の中にも、学校にも、地域にも、日本という国にもあり、物理的な大きな制約になっている。 でもネットでは、自分がいたい場所が選べる。人との出会いも含めて可能性空間がバーンと広がっている。学校のクラスの中には自分と合う人はいないけど、ネットに行くと母集団が50人から500万人に変わって、さらに検索できるから、会ったことはないけど自分と同じ事を考えているとか、自分にピッタリ合った人というのが見つかっていく。 これはものすごく大きな事で、それがネットへのワクワク感を持った人達を「ネットなしではやっていけない」という感じにさせている大きな原因だと思っています。
例えば専門性ということにおいても、一つの研究所にITのプログラマーが500人位在籍していても、ある一人がやっていることは必ずしもその組織の中で深い部分までは理解されないんですよ、あまりにも世界が専門化し過ぎちゃっていて。
ところがオープンソースの世界では、ソフトウェアのコードをネット上に無償で公開すると、いきなりロシアとか中国とかシリコンバレーからでも「お前のここのコードはすごい」とか、「俺も同じ事を考えていた」とか、世界中の不特定多数の開発者からリアクションが届く。この感動が核にあるんです。 要するに、自分がやってること、面白いと思っていることの専門性とか固有性を、リアル世界で制約された環境では誰も分かってくれないし話す相手もない。でもそれがネットにのった瞬間に変わる。オープンソースの原動力って、結局そういう個々の承認感動にあると思います。
経営者は、なぜ若者達がネットにはまるのか今ひとつピンと来ないと思いますが、上記のコメントにヒントがあると思います。後でもでてきますが、「リアルの社会で充足している経営者」は、ネットに特に付加価値を求めません。しかし「リアル社会で孤独を感じている若者達」は、ネットの向こう側に自分を受け入れてくれる世界を探しているのです。そしてそういう世界を見つけると、リアルの世界よりもネットの世界の方が居心地がよくなってしまうのです。
こうしたネット依存の姿勢には賛否両論ある訳ですが、一つの現実として、若者がネットに何を求めているか、きちんと理解しておきましょう。
あるアメリカ企業に大学生がインターンとしてやって来たときの話で、企業が何を頼んでも彼はすぐにこなしてくる。
これはすごい奴だと思って、いろいろ聞いてみると、その子が何から何までできるんじゃなくて、ネットで常時繋がった何百人もの友達の中から、テーマ毎に助けてくれそうな人を選んではやり方を聞いて、仕事をこなしているんですね。 おそらく今の十代のアメリかのエリートは、たくさんの質の高い友人とネットを介して脳がつながった状態で世の中に出たい、と思っているはずです。「Facebook」という米国の大学生むけのSNSの普及率と利用度は驚くべき高さです。
ここの部分を読んで、私はすごくびっくりしました。日本でもミクシィ等で、ネット社会を通じて人脈を広げている若者がたくさんいる訳ですが、アメリカではそうした 「ネット上の人脈」が実際に仕事にも役立っているようです。
ひと昔前は、人脈を広げるには異業種交流会に参加して、夜の飲み会に参加してという感じでしたが、次世代のビジネスマンはこうしたネットを通じた人脈というものが大きな武器になっていくのかもしれません。
日本でもある大学の先生に、「学力低下というけれども、昔の学生と今の学生を比べたらどうなんですか」と聞いたら、全ての情報を遮断して何が解けるかなら、20年前の学生の方が上だったけど、道具を自由に駆使し友達と協力してもいいから答えを出すということに関しては、今の学生の方が能力が高いとおっしゃていました。 現実社会で求められる能力の大半は後者ですよね。
たとえば、彼らの情報処理の仕方って、「流しそうめん」みたいなんですよ。
要するに貧しい時代って、そうめんが上から流れてきたら、食べ物は圧倒的に貴重だから、とりあえず食べる量を確保してそれから食べる。流れていっちゃったそうめんも、まとめて後から皆で分けて残さず食べる。 ところが若い人達の情報への感覚は、そうめんはずっと流れてるんだから、ちょっと食べたいなと思ったときに取ればいい。それ以外は流れて行くままに放置して、どんどん捨てていくという感じです。
確かに人類の歴史上、個人の手元にある情報がこんなに膨大だったことはないですからね。
上記二つのコメントは、今の若者達の仕事のスタイルをよく表しているような気がします。
彼らが持つネットを通じた情報収集のノウハウと、集められた膨大な情報の中から必要な情報を選び出すセンスに関しては、世の多くの経営者が全く歯が立たないのではないでしょうか。そしてその情報をもとに、「グループで協力して課題を解決する」ことに、彼らは長けているそうです。
我々の世代では、主として人から(フェイス・トゥ・フェイスで)入手した情報を元に、いかに「自分自身」で課題を解決していくか、という点が企業内の評価のポイントだった訳ですが、こうした評価軸だと今の若手世代をきちんと評価できないのかもしれません。
僕は「1975年以降に生まれた人」ってよく言うんですが、「はてな」の近藤も、ミクシィの笠原健治社長も、平野さんもみんな1975年の生まれです。 その前と後で大きな断絶があって、1975年生まれの人はちょうど分水嶺に位置していますね。
それから、インターネットの普及が1年遅れで日本にやってきた。1995年のことですね。そのとき、1975年生まれの人は、皆、19歳か20歳なんですね。
これに数年の差があるともう感覚が違っていて、当時23歳だった世代というのは、新入社員として古い文化の会社にどっぷり浸かって忙しくて、ネットに触れる環境になかった場合が多い。だから大学院に行っていない限り、71,72年生まれというのは、案外感覚が古い。
そして、75年、76年、77年生まれ辺りが、ゴールデンエイジですね。
実感として意識していた障壁を初めて越えた世代なんでしょうね。その後になるとネットは当たり前という感覚かもしれない。
そうなんです。前の世代が先にやっているから、1980年前後の生まれの人達は少し遅れてきた世代になります。
ちなみにPC革命をドライブした、スティーブ・ジョブズやビル・ゲイツの世代の主だった人物は、ほぼ全員1955年生まれなんです。 僕は1960年生まれなんですが、自分たちは少し遅れてきた世代だと感じていました。
1955年世代がパソコン革命を牽引し、今また1975年世代がインターネットを牽引しているというのは、時代の潮目を象徴していると思います。
1975年生まれというのは、今31〜32歳です。この世代以降は、就職活動にインターネットを利用するのが当然の時代でした。同時にもっとも時間に余裕のある学生時代に、インターネットや携帯を駆使して来た世代 なのです。よく世代間のギャップが言われますが、こうした現在31歳以下の人達は、我々が若かった頃と明らかに違った環境に身を置いていた訳です。ネットを使って情報を収集し、コミュニケーションを図りながら生活して来たわけです。
こうした若手世代とどう向き合うか、経営者として本当に悩ましい点だと思います。
世界の結び目を、自動生成する機械なんですね、検索エンジンは。リアルタイムでどんどん更新されている全ての情報を、常時取り込んで整理している・・・。
大組織のトップとか、社会的な地位の高い人や有名人には、それがどんなにすごいことなのかが見えないかもしれない。電話一本かければ良質な情報を与えてくれる人が周りにいるわけですからね。
でも、そんな環境にいない人、未知との出会いを求めている若い人達、勉強したいという気持ちを切実に持っていて時間がたっぷりある人にとっては、検索エンジンの有用性というのは計り知れない。
SNS(ソーシャル・ネットワーキング・サービス)もそう。「えっ、友達の友達にこんな人がいるの? その人と友達になれるの? そのためのコストが一円もかからないの?」というネット空間の新しい価値は大変なものです。
ネットの魅力の感じ方って、リアルな空間での自分の恵まれ度に反比例すると思うんですよ。 リアルの世界で認められている人やいい会社に勤めている人達に、いくら僕がネットは面白いよと話しても中々分かってもらえない。日本のいい会社はいいコミュニティでもありますから、給料の多寡の問題でなく忙しく働き、嫌で仕事しているんじゃなくて、楽しいでしょう。 そこにいる人に「ネットでこんな事が起きているんですよ」って話しても、リアルで完全に充足しているから、別の世界なんて必要としていないわけですからね。
上記の部分を読んで、なぜ経営者がネットの素晴らしさにピンと来ないのか、その答えが分かった気がしました。
ビジネスの観点から見たネットの価値は、情報伝達とコミュニケーションにあると私は考えているのですが、この2点において経営者はリアルの世界で苦労していないのです。
トップですから簡単に情報が手に入る。そしてトップは様々な人と普段接していますから、わざわざネットで新しいコミュニケーションを開拓する必要がない。
ニーズがない訳ですから当然ネットは利用せず、いつまで立ってもネットの良さがピンと来ない訳です。
セミナー等で私がお話しする際に、「社長さんは、ネットの向こう側にいるお客さんの気持ちが“皮膚感覚”で理解できないから、ビジネスにネットを利用できない」という話をするのですが、正に梅田氏が仰っていることだと思います。
僕にはこうした現象も含めて、ネット世界のことが面白くてしょうがないんだけれども、この感覚をシェアできる同世代の知人が本当に少ない。 リアル世界の第一線で活躍している人ほど生活が忙しすぎて、知的好奇心の摩耗が起きている、という感じがするんです。
個人的に「ウェブ人間論」を読んで、一番「やばい」と感じたのが、上記の部分でした。私は会員さんむけに「ネットをビジネスに活用するノウハウ」を提供している訳ですが、ともすれば日々の業務に追われて、昔に比べると、「ネットの最先端で何が起きているか」に対する興味のレベルが明らかに低くなっています。
私は「ネットで起きている事象を、経営者の言葉に翻訳する能力」に一番秀でていると思っているのでが、その自分が「ネットで起きている事象」をきちんとフォローできなくなっているとすれば、最も恥ずべき点な訳です。その意味で、改めて目を開かせてもらった一節でした。
ブログをやり始めて数ヶ月たった時に、オープンソースのことを書いたんですね。オープンソースで世界的に活躍している日本人というのが実は何人もいるんだけれども、そういう人の一人から「この部分は浅い」という内容の批判的なトラックバックをされたんです。 最初は驚いたし、反発する気持ちも持った。でもその後、何回かやり取りをしているうちに、会ったこともない彼との信頼関係がネット上で醸成されるのを実感できた。 それから例えばスティーブ・ジョブズの話を書く。僕自身はいくらシリコンバレーに十何年いたって、ジョブズの友達じゃないし、彼と話し合ったこともない。それでも何となく分かったようなことを書いていたわけですね。
ところが、ネットの向こうには、ジョブズと一緒に仕事をしたこのある人がいたり、アップルに勤めている人がいたりと、実に様々な「ジョブズ体験」を持った人がいる。
ネットの向こう側にとんでもない広がりがあるということに心の底から気づいたんです。
上記部分は、梅田氏が自分のブログを通じた情報発信について書かれたものです。 そのため、ブログによる情報発信をしていない企業にとってはあまり関係ないと感じたかもしれませんが、実は全ての企業にとって大切な示唆が得られます。
ネットが登場する前は、主として営業マンを通じて、お客さんと企業が「1対1」で情報提供していました。しかしこのネット社会では、色々なルートを通じて情報が流れ ていきます。そしてネットの向こう側には、「とんでもない広がりがある」のです。そのため中途半端な、あるいは不充分な情報を提供することが、企業経営にとって大きなマイナスになる可能性も否定できません。現在の経営者にとって、提供する情報の「質」に関し、従来よりも遙かに積極的な関わりが求められているのです。
個人にとって、ネットはとんでもない能力を持った道具です。
それが全員にあまねく広がったからよいという考えもあるけど、能力の増幅器でもあるから、個人の能力の差異が限りなく増幅されるという側面ももう一方である。
ものすごく積極的に利用する人はどこまでも行けるんだけど、怠け癖がついてて勉強する気がなく、積極的に人間関係を作らない態度である年齢まで来ちゃった人は、ネットの可能性を全然活用できないから、同世代の人達との差がものすごく広がる。
社長さんを含めて、30代以上、1975年以前に生まれた人達にとって、上記で述べられたポイントは大いなる示唆を含んでいると思います。ネットという新しいツールを活用できる人と、使いこなせない人との間で、ある種の「格差」が確実に広がっている のです。
それは同時に、企業としてのネット活用に関しても同じです。優秀な人、優秀な企業は、ネットを利用してどんどん先に進みます。しかしネットに取り残された人、取り残された企業は、その格差が徐々に拡大していくのです。
私が提供しているサービスは、このままでは「ネットに取り残されそうな企業」のお役に立つことを、大きな目的の一つとしています。梅田さんの指摘を肝に銘じながら、ネットが苦手な経営者のお役に立てるように頑張っていきたいと思います。
本記事に関連した参考ページを下記に掲載しました。あわせてご参照下さい。
以上、筆者のお二方の趣旨と違った解釈も多いかもしれませんが、経営者の方に参考になれば幸いです。
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